YOGAを知る

このページではヨガ哲学(ラージャヨガ)について簡単にご説明します。

運動(ポーズ)のやり方については記載していません。

ヨガとは自己の探究であり、哲学的な考えです。

怒りとは何か。自由とは何か。幸せとは何か。私は誰か。真実とは何か。といった深い題材に対してロジカルに答えを導きだしています。

私達が小学校の時に習った“道徳”に近いです。

子供の頃にお母さんに教えてもらったことの再学習とも言えます。


私たちは大人になるにつれてその大切な事を忘れがちになる傾向があると思います。

もう一度学習することで、心に余裕ができ、日常幸福度が高くなる可能性があります。

なので、私はこの学問が好きです。

 

なぜ私が幸福度を意識するかというと、毎年世界幸福度調査(米国の世論調査会社ギャラップ・インターナショナルとWINによる共同調査)というものがあり、1位がフィジー、2位が私が留学していたフィリピンです。

 

フィリピンはとても貧しいです。この目で見てきました。

しかし、皆とても楽しそうなのです。

彼らは、家族は何よりの宝。自分を犠牲にしても友達を助ける。など当たり前のことを当たり前のように行います。

このことからわかってくることは、お金や地位、社会的状況が高水準でないと幸福度は低い。という事を否定してくれています。

私達は心の成長に比例し、日常幸福度を高水準にでき、より生き生きした人生を歩む事ができる。と言えるかもしれません。

日々の自分の考えを少しずつ変えていくことで、今現在すでに私たちは幸せ。という事に気づけるようになると考えています。

     


皆さんのヨガに対するイメージは何ですか?

おそらく、“運動”だと思います。

呼吸しながら行う。とか、姿勢をキープする、とか、難しいポーズにチャレンジする。などなど

 

ヨガ(ラージャヨガ)は“ある目的”を達成のために8つ修行を持っています。

みなさんご存知の運動はその中の1つにすぎないのです。

 

(率直に言うと、現在一般的に行われているヨガの多くはストレッチと変わりありません。※全てではありません。)

 

ではその“ある目的”とはなんでしょうか?

 

 


ヨガの目的

ヨガの目的。それは日常幸福度を高めること。と解釈できます。

ヨガの有名な本では、「ヨガとは心の動きを制限することである」「ヨガとは本当の自分を知る為の内なる探検である」など、、、

意味が分からないですよね。笑

最初の頃は「ヨガって宗教じゃん!こわっ。。。」と感じたのを覚えています。

これらのことをざっくりまとめると、「ありのままの自分を受け入れ満ち足りている事を実感しなさい」という事です。

あなたはもともと完璧なはずなのに、あなたの中にあるセルフイメージが間違っているために苦しみやフラストレーションが生まれる。と。

では、ありのままの自分を受け入れ、知るにはどうしたらいいのでしょうか?

ヨガでは8つの行いを守る事でそれが可能と言っています。

それらは次の八支則(はっしそく)というものです。

八支則

1、道徳律(やってはいけない事)

・暴力を行うべきではない。自分に対しても。言葉、身体、思考のレベルで制限するべき。

結果 人から害されなくなる。

・正直に。言葉のコントロール。言葉と行動の一致。

結果 人から信頼されるようになる。

・他人の物、時間、喜びを奪むべきではない。

結果 豊かになる。 

・性的エネルギーをコントロールするべき。

結果 身体が強くて丈夫になる。

・不必要な物を持たない。最小限の物で満足を。

結果 人生の真の目的を見つける。

 

2、守るべき行動の掟(やった方がいい事)

・心も身体も清らかに。食べ物や部屋などの環境も。

・現状を知り感謝し、満足の心を養うべき。

・人生の最終目標に到達するために努力するべき。

・人として自分の心を教育するべき。

(イーシュヴァラ・プラニダーナ(神へのは省略します)

3、運動(ポーズをとる)

瞑想のため長時間座っていられる身体を作ります。

脳のコントロールを適正化していきます。

4、呼吸のコントロール(座って呼吸する)

自律神経の過緊張から解放します。特に吐くことを意識します。

5、意識を内に向ける

自分はどのような呼吸を行っているか。など自分自身に意識を向けます。

6、努力を必要とする集中(瞑想)

呼吸に集中したり、ロウソクの炎を眺めたり、何か一つの事に集中します。

7、努力を必要としない集中(瞑想)

 

8、沈黙(ただ、ある状態)(瞑想)

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ヨガの哲学は深いです。

しかし、八支則の「行った方がいい事」や「行うべきでない事」など、ある程度決められた掟を守る事で自分を律する事ができます。

私自身、ある程度ルールがあった方が生きやすい。と感じています。

ルールを守れなければ、なぜ出来ないのか考えることによって自分の成長につながります。その成長は日常幸福度に直結します。

全てを受け入れる必要はないですし、いいと思ったところを是非日常に取り入れてみてください^^

このページはヨガ哲学にのっとっていますが、私の解釈も介入していますので、「ヨガ哲学というものがある」という事を知るきっかけになってくれたら嬉しいです。

 

ご質問などありましたら、お気軽に問い合わせページからメールをしてください。

自分自身を知る事とは身体と心と魂を知る事。

コシャ(5つの相)

自分が変わらなければ究極の自由へ向かって前進することはできない。

いかに人と関わり、どのように人と生きていくかという点にこそ、精神的な悟りが現れてくる

悪いから良いを経ることなしに最良の状態に一足とびに進むことはほとんど不可能である

心の状態は態度や姿勢に現れる。それならば逆に身体から心に影響をあたえてみようというのがヨガ(アーサ)のやり方である。

呼吸は意識を運ぶ。

何事も強制されるべきではなく、受容する力が最も大切なのである。

小さなことを数多く学んでいけばいつか大きなことを理解することができる。

精神性を得るには、外界にあるゴールをみつけるのではなく、一人一人の内に隠されている神なる核の一部をあらわにしなければならない。

自分自身と外の世界の間に殻をつくることは、人生の可能性の大半を自ら奪ってしまう事である。

人間は自分自身をコントロールするよりも、むしろ環境を支配しようとしてきた。

ヨガの偉大な恩恵は、他のものに頼らない満足と幸福を得られる事である。

アサナでは、物質的な肉体とその他の階層(心や感覚、魂、知性、至福)を正しい位置関係に置き、調和させなければならない。それが統合である。

アサナを行う時は眺めるのではなく、自分の身体の姿勢を感知するのである。自分の身体に対する気づきが芽生え始め、脳の知性と筋肉の融合がはじまる。

皮膚は最も外側にある知性(感覚)である。

ヨガの神髄とは観察の俊敏さにある。

ヨガを学ぶ者は、自己意識的ではなく自己認識的であるべきだ。。

身体を静止出来ない時は脳も静止できない。また、身体の静寂を知らなければ、心の静寂も理解することができない。

アサナの修練において、皮膚の感性を発達させることは大変重要。皮膚と皮下組織の間にはゆとりを持たせなければならない。

注意を外側ではなく内側に向け、他人がどう見るかではなく、自己が見るものを気にかけなさい。

身体が硬く凝り固まっている状態は、拘束衣を着ているようなものであり、刑務所で暮らすことと同然なのである。

喉のこわばり、歯のくいしば、目の緊張はアサナやプラーナーヤーマを身体ではなく、自己中心的な脳で行っている証拠だ。脳がリラックスして初めて何かを学ぶ事が出来る。

アサナの最中目を見開いてリラックスさせると同時に、後にも気を配らなければならない。後を意識することで、内側に目を向ける感覚がわかり、身体と脳を観察することが可能になる。目が内よりも外ばかりにむいていたならば統合にはたどり着けないこめかみの後方、耳のあたりから気づきの目を広げている時(周辺視野)脳の後部が活動し統合(自分の空間的な位置関係)を行っており、自分を客観的に見ることが可能になる。

自分自身をちっぽけで、おしつぶされた、悩み多き生き物だと考えない事だ。自分は器が大きく優美な人間だと考えるようにしなさい。軽やかさを失うと、身体は萎縮してしまい、知覚の扉が閉ざされる。その場合は、胸を張り、ただちに心を開かなければならない。背を曲げてうなだれることには、身体に麻薬を打つような作用がある。胸部を圧迫することが自己そのものを押しつぶしてしまう。

心が萎縮すると魂も萎縮する。心を鋭敏にさせておくのは背骨の役目である。

ヨガの実践とは身体から雑草を取り除く事である。ヨガとは気づきの感覚を扱うものであり、その気づきに導かれて我々は喜びと痛みの両王を知り、理解するようになる。

未来や過去に生きてはいけない。現在だけが現実なのである。

自由を得るためには苦痛に耐えなければならない。これは人生においても等しく真実である。

病や苦痛は、自分達の過去の行動から生じた真実である。

何もかもが剥ぎ取られたとき、最も大切なものが姿を現すのだ。

成功は実践するものに訪れる。

他人の欠点を探す前に、自分の欠点を取り除くようにしなさい。他人の過ちを見つけたら、自分も同じ間違いを犯していないか確認することだ。そうすれば判断力が養われていくだろう。他人の身体を羨んだり、優越感を抱いたりしてはいけない。人はみな違う肉体をもって生まれるのであり、他人と比較することがあってはならない。各人の能力は、そえぞれの内なる強さに関連している。自分の能力の限界を知り、その範囲を絶えず広げていくようにしなさい。

 

プラーナ(エネルギーの相と生命力)

呼吸の流れを見守る事は意識の安定を学ぶことでもあり、それが集中力につながってくる。

脳を制御するためには、まず呼吸を制御しなればならない。

呼吸こそが究極への鍵である。

この世にストレスのかからないものは何一つない。ストレスから完全に開放されることは可能だろうか?と問うよりも、むしろストレスの程度はどれくらいだうか?と問うべきだ。

自分がコントロールできないものを最終的に手放すことで、自我をリラックスさせ、限りなくちっぽけな自分への不安を消すことができるのである。

脳をリラックスさせる方法を学ぶ事が、ストレスを取り除く唯一の方法なのである。

人生の浮き沈みに対処するためにヨガが提唱している解決法は、いかに状況に適応し、自分を鍛え上げるかを学ぶ事であり、鍵となるのは、感情の変動と精神の同様をコントロールすることである。

 

6つの情動

肉欲、プライド、執着心、怒り、憎しみ、強欲。これらの感情的な反応をコントロール出来なければ、精神性を高めることが非常に難しくなる。

宗教ではこうした感情を排除するよう教えているが、それは不可能である。これらは人間のもっている感情であり、望むと望まざるとにかかわらず感じるもので、おさえようとしても無理なのである。

一歩先を見越して一つ手間をかければ、問題は回避できるのだ。これこそ、我々が6つの情動に対しとるべき姿勢である。我々は問題を見つめて生きるのではなく、解決法をみつめて生きるべきなのだ。

 

肉欲ー一人を愛することは全てのものへの愛に通じる。肉欲とは消費による自己確認である。

 

執着心ー執着心とは依存と言い換えることが出来る。我々は、自信に対しては過激であっても、他人に対してそうであってはならない。

ヨガは束縛を否定している。束縛とは抜け出すことが出来ない行動パターンに縛られて、身動きのとれない状態のことだ同じことの繰り返しは退屈につながり、退屈は形を変えた拷問のようなものである。それゆえヨガでは溌刺として素朴でありなさい、純真な感性をもち続けなさいと教える。

 

怒りー人生で起こることの大半は個人的な事ではないのだと認識するべきだ。例えば、高速道でドライバーが割り込んできたのに対して、反射的に「あのバカが!」などと考える代わりに、もしかしたら彼は親の臨終に立ち会うために道を急いでいるところかもしれないと思うようになる。

怒りは道徳的に使えば人を傷つけるのではなく救うことが出来る。通りに飛び出そうとした幼いわが子を乱暴にひきもどす母親の姿かもしれない。母親の怒りは前向きなものであり、身を守る方法をおしえるために子供を叱りつけるのは当然である。怒りは子供自身を否定するのではなく、その行為に向けられるべきである。

 

憎しみー憎しみのもつ破壊的な性質は、自分と異なるものを受け入れない不寛容、暴力、戦争においてよく見られる。両親が一人の子供を他より愛したために、兄弟の間に憎しみが不和が生じた経験をもつ大人もたくさんいる。親の愛情ですら有害なものとなり得る。我々はネガティブな感情だけでなくあらゆる過剰をコントロールするために知性を使わなければならない。

 

強欲ー我々は食べ物、エネルギー、時間、命を消費している。そして余剰物をため込むことで権力を求めようとする。強欲になっている時、われわれは決して満足感や充実感を得る事は無い。これでは足りなくなるのでは?と終始不安にかられ、みじめになる事を恐れる。ヨガでは必要なものを意識的に最小限に抑えている。必要なものを最小限に抑えることで、われわれはわずかなもので最大限の満足を得ることができるのである。ある人にとっては一日に一食すくなすぎるが、別のある人にとってはごちそうになる。人生も同じである。生きていくうえで求めるものが少なければ少ないほど、人生の豊かさを感じる力は大きくなる。

 

心が澄み切って穏やかな状態になるためにはプラーナーヤーマ―が特に大切である。プラーナーヤーマ―は動揺した不安な心を落ち着かせるものである。さらに、生まれながらにもっている欠点を直すには、ヨガの8つの段階の実践を続けることだ。